GLORY BEYOND DREAMS 湯場海樹選手インタビュー

インタビュー | 2023.04.04 Tue

『2回の逆転負けが今でも印象に強く残っている』

彼は日本5階級制覇を達成した湯場忠志の息子で第3代日本ライト級ユース王者の『湯場海樹』。
『ボクシングは怖くて、中学まで野球をしていました。』

幼い頃の湯場選手は父が試合で倒れて救急車で運ばれる姿を何度も見てそう思っていた。
しかし彼は現在ボクシングの世界王者を目指すプロ格闘家として活動している。

なぜ怖いと思っていたボクシングを始めたのか?
なぜ世界王者を目指す格闘家になったのか?
湯場選手の言葉を一つずつ紡いでその理由を記しました。

湯場海樹選手(ワタナベボクシングジム)

湯場 海樹

所属:ワタナベボクシングジム
生年月日: 1998年12月11日
身長: 178cm
体重: 70kg
出身地: 宮崎県都城市
経歴:第3代日本ライト級ユース王者

―自己紹介をお願いします。

湯場)湯場海樹(ゆば かいき)です。今24歳です。父親が今46歳で、5階級制覇した湯場忠志(ゆば ただし)です。

―ボクシングを始めたきっかけは、お父さんですか。

湯場)きっかけは父ですが、幼いころは怖くて、中学まで野球をしていました。本格的にボクシングを始めたのは高校に入ってからです。

左:父で日本5階級制覇の元ボクサー、湯場忠志さん 右:湯場海樹 選手

―直近の試合は、2023年5月に後楽園ホールで予定されています(※試合は判定勝ち)。今はその試合に向けてトレーニングをしている状態でしょうか。

湯場)先日、3月20日にも後楽園ホールで5ラウンドKO勝ちの試合をしました。次の試合まで1カ月しかないですが、前回の試合のために作り上げた状態から調整していく感じになります。今回は最初から作り上げるわけではないので、コンディションもとても良いです。

2023年5月1日(月)に行われた『G.O.A.T MATCH Vol.1』では判定勝ちを収めた

―次戦に向けて心掛けていることを教えてください。

湯場)次の5月1日の対戦相手が、中国の選手で身長が高く技術もある選手なので、どんな形でも勝てるように。タイトルマッチは兼ねていないのですが、勝てばランキングに入っていける試合になると思うので、とにかく負けないようにしたいです。今はノーランカーなので、今年中にランキングに入って、上位の選手と戦うためにも大事な試合です。

―普段の練習スケジュールをお伺いできますか。

湯場)朝は走って、昼は休んで、夜は17時から2時間くらい練習しています。試合前以外は昼間にトレーナーとしても働いているのですが、試合前は一切しないようにして、試合に向けて集中しています。

―次の試合に向けて減量は進んでいますか。

湯場)今回は相手の都合でいつもより3キロ重い階級での試合となります。あと1か月で残り5キロなので問題ないです。

5階級王者の父を超え、世界で活躍できる選手へ

―プロデビューはいつでしょうか。

湯場)高校3年の2月に、卒業前にデビューしたので18歳です。デビュー戦の1週間後が卒業式でした。デビュー戦は3ラウンドKO勝ちでした。

デビュー戦から多くのメディアに取り上げられた

―ボクシングを始めたきっかけであるお父さんは、どのような存在でしょうか。

湯場)ボクシングを始めたときからずっと、父と比べられて最初はプレッシャーを感じていました。今では深く気にしてはいないのですが、どうしても父と比べて、という目で見られるので、父を超えたいと思っています。父は日本の5階級王者でしたが、世界は取っていないので、僕は世界を目指しています。1-2年以内に日本でタイトルをとって、5年以内には世界で活躍したいです。

―お父さんのどのような姿をみて、ボクシングを始めることを決意しましたか。

湯場):父が4階級制覇したときの試合を会場まで見に行っていて、その試合がすごく感動しました。後楽園ホールが今までに感じたことのないほど揺れて、歓声もすごくて、かっこいいって思ったことをきっかけにボクシングを始めました。幼い頃から父の試合を観てきて、怪我をしたときに一緒に会場から救急車に乗った経験もありました。間近でそのような姿を見ていたので、最初は恐怖心がありましたし、父からボクシングを強要されたことはなかったので、最初は絶対にしたくないと思っていました。母親も、毎試合応援に来てくれますけど、やはりそういう父の姿を見ていたし、特に僕は一人っ子なので、正直ちょっと・・・という感じでした。

父の4階級制覇の試合を見てボクシングを始めた

―ボクシングをするにあたって、環境は整っていたのでしょうか。

湯場)父の引退後に宮崎でジムを作って、そこで練習することができたので環境は整っていたと思います。ただ、幼い頃からずっと父は自分のトレーニングや試合で宮崎にいなかったので、一緒に過ごす時間が多くはありませんでした。なので、今でも父というよりは兄弟のような感覚です。

―今は東京のジムに所属されているかと思います。いつ宮崎から東京へ上京してきたのでしょうか。

湯場)プロ入りしてから、2年後です。どうしても練習相手が宮崎より東京の方が多いので、ワタナベジムに移籍しました。上京したことで、スパーリング相手には困らなくなりましたが、ランニングする環境は田舎の方がよかったです。あと、田舎ではあまりプロボクサーもいないので、地域のいろんな人に応援してもらえたり、どちらにもメリット・デメリットがあるのはすごく感じました。

練習相手を求めて上京を決めた

ボクシングには上下関係がない。強いことが正義である。

―高校からボクシングを始めたときのことについて教えてください。

湯場)日章学園という全国からボクシングの選手が集まってくるような名門高校の部活に所属していました。日章学園には中学校からボクシング部があるので、中学生からボクシングをしていた子には当初ボコボコにされていましたね。

ー偉大なお父さんがいるので、ボクシングを始めたことでかなり注目されたんじゃないですか。

湯場)地元のニュースで取り上げてもらったりしたことはありました。ただ、一年生でまだ全然強くない時にマスコミの方から注目を浴びたので、良く思わなかった人も多かったと思います。始めたばかりでまだ実力もないのに、身体は大きかったので同じ体格の人と組まされて毎日ボコボコにされていました。でも、ボクシングって上下関係がないと思うんです。何か言ってくる人がいても、練習でボコボコにすることができる。その人より実力があると何も言われなくなるので、ボクシングの良い所だと思います。

学生時代の友達とは地元に帰るたびに交流をしている

ー高校時代は順風満帆なボクシング生活を送れていたのでしょうか。

湯場)実は高校1年生の時にデビューして、3連敗したんです。父が毎回東京から見に来てくれていて、毎回悲しい顔で帰っていたのですごく申し訳なくて、悔しかったです。母にもボクシングを辞めたらと言われるほどでした。でも父が引退後宮崎にジムを作って、そこで夜も練習するようになって伸びたと思います。3連敗後の試合で、優勝候補相手に辛勝できたこと、そして自分はしっかり練習しているということが自信になりました。

―高校時代の戦績を教えてください。

湯場)高校3年生の時に、団体で日本一、僕個人はインターハイで2位になりました。僕たちの代は今もみんなプロで活躍していて、本当に強かったです。ボクシング漬けの毎日で、朝5時半に起床、6時半から朝練で走る、15時から部活で練習。17時から父のジムにいく生活だったので、高校3年間だからやれたようなもので。ずっと続くと考えたら嫌になるぐらい練習していました。

高校時代は日本一も経験した

技術は負けない。本番で発揮するだけ。

―ボクシング漬けの3年間を経てプロデビュー。デビュー戦はどのような気持ちで臨まれましたか。

湯場)自信があったので、不安はありませんでした。3回KO勝利だったのですが観に来てくれた父には「俺なら1ラウンドで倒していた」と言われました。母も父で慣れているので、「なんですぐ倒せないの。」と言われました。

―これまで12戦プロとして試合をしていますが、印象に残った試合を教えてください。

湯場)負けた試合です。プロに入って2敗していて、2回とも逆転負けしていて、なぜ負けたかが未だに分からないので迷っています。メンタル面なのかなと思っているのですが。

2回の逆転負けが今でも印象に強く残っている

―ボクシングの世界でもメンタルケアは必要でしょうか。

湯場)メンタルコーチをつけている人もいますし、今の時代メンタルケアも大事だと思います。強い人と戦う場合は自然とモチベーションが上がるのですが、緊張しない相手だと調子が上がり切らないことはあります。

―対戦相手はどのように決めているのでしょうか。

湯場)プロモーターが相手を探して、相手もOKだったら対戦が決まります。僕はサウスポーで長身なので相手からするとやりづらい選手なんですね。今はランキングを上げるためにも試合をこなすしかないのですが、ランカーでもない自分との対戦は相手にデメリットしかないので、なかなか日本人選手との対戦は難しくて、外国人選手と対戦することが多いです。外国人選手はポーカーフェイスな方が多い印象で、日本人との対戦の方が事前情報も得られるし個人的には好ましいです。

技術には絶対的な自信を持っている

―今年は3月、5月、さらにその次も夏に試合をしたいとのことですが、対戦したい相手はいますか。

湯場)プロで2敗した人にリベンジをしたいです。自分が負けた相手の1人が今チャンピオンになっていて、もう1人もタイトルが決まっていて、自分もそのレベルだと思っているので、あとは本番で発揮するだけです。技術は絶対負けないので。

ボクシングは人生の奪い合い

―RDXのグローブを使ってみての感想を教えてください。

湯場)すごく握りやすかったです。しっかり拳も固められるので、手首も傷めないし、すごく殴りやすいです。

―湯場選手にとって、「プロ」とは何でしょうか。

湯場)負けたらこれまでの積み上げてきたものが一気になくなる結果が全ての世界だと思います。ボクシングの世界においては、人生の奪い合いですね。どんな形でも勝てば上にいけるけど、どれだけいい試合をしても負けたら駄目なので。RIZINのように盛り上がる試合をしても駄目で、勝つことが一番です。

勝つことがボクサーには一番必要だと強く語る

―今後のボクシング界についてどう思いますか。

湯場)もっと憧れのスポーツになって欲しいです。格闘技だけで生活している人は一握りなので、もっと魅力のあるスポーツだと伝えることも大切だと思います。なので、那須川天心選手がボクシングに転向するのはいいきっかけだと思います。彼によって盛り上がるし、どんどん有名になって欲しいです。

―ありがとうございます。5月の試合も応援しています。

編集後記:

『父の戦う姿に魅了されボクシングを始めた湯場選手は世界を目指し日々鍛錬を続けています。高校時代に大会で結果を出し、2023年はランカーに入るために連戦を行います。現チャンピオンにダウンを取りながらも逆転負けしてしまった所にまだ自分の弱さがあると語っており、絶対にチャンピオンになるんだと言う気持ちが口調から強く伝わってきました。ボクシングは人生の奪い合いと言うように勝つことに全てを注ぐことが出来る人間がプロ格闘家には必要だと感じた取材でした』
(RDX Japan編集部)

インタビュアー 冨永潤一、上村隆介

湯場 海樹

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